緒方竹虎関連エントリー

今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』

... (日) 先月25日のおつな寿司セミナーでご一緒した今西光男さんからいただいた『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』(朝日新聞社)を読了。 朝日新聞社の内情、GHQによる統制や強制など、知らないことばかりで、とても興味深かった。 ...

今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』

で、正力松太郎や緒方竹虎の戦争責任は?

... 朝日新聞が自社の戦争責任を検証したわけだが 朝日新聞出身で、A級戦犯に指名されたのが緒方竹虎です。「平凡社大百科事典」より。 おがたたけとら 緒方竹虎 1888-1956(明治21‐昭和31) 大正・昭和期の言論人,政治家.山形市で生まれ,福岡で育つ ...

で、正力松太郎や緒方竹虎の戦争責任は?

朝日新聞のA級戦犯容疑者 緒方竹虎

... 読売の正力松太郎、朝日の緒方竹虎と下村宏がA級戦犯容疑者だったことについて、両紙の最近の戦争検証記事が触れていないことを批判する記事が載っていた。 そう、そうだった、緒方竹虎もやはりA級戦犯容疑者だったよなあ。 緒方竹虎といっても今で ...

朝日新聞のA級戦犯容疑者 緒方竹虎

昭和は遠く成りにけり、「父・緒方竹虎と私」を読み終えて 1

親愛なるアッティクスへ 先日、 緒方 四十郎 著、 「遙かなる昭和―父・緒方竹虎と私」 という本を読み終えた。 著者の父君で、この本のタイトルにもなっている 緒方竹虎 翁は、現在では、あまり、知る人もいなくなったのかもしれないが ...

昭和は遠く成りにけり、「父・緒方竹虎と私」を読み終えて 1

昭和は遠く成りにけり、「父・緒方竹虎と私」を読み終えて 2

... 次に印象に残ったのは、 公職追放解除 がなったばかりの父、 緒方竹虎 に、新たに発足する 保安庁長官 就任の話が持ち上がったとき ... 何ら進展のないまま、 衆議院 は 解散 に至ったことで、緒方竹虎は正式に 自由党 より出馬し当選した。 これにより ...

昭和は遠く成りにけり、「父・緒方竹虎と私」を読み終えて 2

緒方竹虎とは?

緒方竹虎 (おがた たけとら 明治21年(1888年)1月30日 - 昭和31年(1956年)1月28日)は、ジャーナリスト、昭和時代の政治家。自由党 (日本) 自由党総裁。国務大臣、内閣情報局総裁、内閣官房長官、副総理などを歴任。
明治21年(1888年)1月30日、緒方道平の三男として山形県に生まれる。緒方姓は竹虎の祖父・郁蔵(本姓は大戸氏、備中国 備中出身、岡山県)が大坂で適塾を開く緒方洪庵へ入門して塾頭となり、義兄弟の盟を結びその姓を与えられたことにはじまる。同じく備中に生まれた妹尾道平が、適塾門人の伊藤慎蔵との縁で郁蔵の養子となり、郁蔵の娘久重を妻に迎える。
4歳の時、父について福岡県に移る。父は福岡県書記官を退官後、福岡農工銀行頭取をつとめた。6歳で剣道を本格的に習い始め、中学時代に山岡鉄舟の無刀流免許皆伝となる。福岡県立師範附属小学校から、福岡県立修猷館高等学校 修猷館中学校に進む。この間、小学校から中学校を通じて、無遅刻無欠席を貫徹し無類の勤勉さで知られた。修猷館で中野正剛と出会う。修猷館から東京高等商業学校(現在の一橋大学)に入学するが、同学校の専攻部廃止の文部省令に反対し学生総退学決議を行った申酉事件(武井大助参照)のリーダーの1人として責任を取り退学、中野に誘われ早稲田大学に転学し、玄洋社を主宰する頭山満らと親しく交わる。明治44年(1911年)に早稲田大学を卒業後、やはり、中野に誘われ大阪朝日新聞社に入社して東京勤務となる。朝日新聞社では出世街道を走り、東京朝日新聞社政治部長から、大正14年(1925年)に38歳で同編集局長、昭和9年(1934年)同主筆を経て昭和11年(1936年)朝日新聞社主筆となるが、社長村山長挙らと対立して昭和18年(1943年)に主筆を解任され副社長となる。取り立てて優秀な新聞記者とは言えなかったが、学生時代から頭山満を介して三浦悟楼、犬養毅、古島一雄らの知遇を得ており、「大正」の年号をスクープした。朝日社内ではなくてはならない存在という事で「空気のような男」という評判が立つようになっていった。金銭上公私の区別に厳しく、剛直な性格でも知られ2・26事件では、当時東京有楽町にあった東京朝日新聞社は中野輝明中尉率いる反乱軍に襲撃されるが、主筆であった緒方は、これに悠々と応対し、反乱軍を引き上げさせた。また、太平洋戦争中に学生時代からの親友だった中野正剛が、東條英機 東条英機首相に弾圧され自殺を遂げると、その葬儀では、東条からの供花を拒否して見せた。

緒方竹虎の詳細